中国旅行特集-北京-

麗しの都北京

北京 王朝文化と現代が融合する中国の首都

歴代王朝の都として栄えた北京は、中華人民共和国の首都であり、政治の中心地。宮廷文化を今に伝える、世界遺産などの観光資源も豊富で、北京市だけで6つにも及ぶ。また、胡同(フートン)や四合院住宅が街を彩り、それらを活用したレストランでの食事や路地の散策は、歴史に根付いた楽しみ方ができると観光客にも人気だ。
中国の歴史を感じたいなら迷わず北京を訪れるべきだが、ここは上海に続く中国きっての大都会。 2008年の北京オリンピック後も建設ラッシュは続き、ショッピングモールやモダンなビルも次々と誕生している。
今も進化し続ける中国の躍動を感じに、いざ北京へ。

観光名所

ばんりのちょうじょう

今から2000年以上前、中国大陸は春秋戦国時代と呼ばれる戦乱の真っ只中であった。万里の長城の原型が造られたのは、「春秋五覇」と言われる英雄達や、「戦国七雄」の国々が、凌ぎを削っていたこの時代のこと。戦車や歩兵が戦闘力だった長城以南の勢力にとって、騎馬隊を率いた北方民族の侵攻は脅威的だったため、城壁で敵の襲来を防いだのである。
万里の長城を修築した国家は20以上に及び、各王朝は時代の移り変わりと共に長城の修復や増築を繰り返した。やがて秦の始皇帝が中国統一を果たし、春秋戦国時代は終焉を迎える。より国境地域の守りを強固にするため、それぞれの城壁を繋ぎ合わせて出来たものが現存する万里の長城である。

北京北部約10の省を跨ぐこの長城は、山を縫い、砂漠を走り、総延長は約6300㎞にも及ぶ。その姿はしばしば龍に例えられ、まるで中国の守り神のようだとも。 「長城に到らずば好漢にあらず」と、毛沢東が語ったこの大城壁は、ダイナミックな中国の歴史そのものとして、世界中の人々を魅了している。

こきゅうはくぶついん

北京市街地の中心部にそびえる宮殿群。現存する宮殿の中では世界最大と言われ、かつては紫禁城とも呼ばれた。「紫」は天帝が住む天空の紫宮、「禁」は庶民の接近を禁じるという意味を持ち、かつて皇帝は天帝の命を受けて地上を統治する者、という位置づけであったことを知らしめていた。
歴代皇帝の栄華を象徴する故宮の始まりは、1406年、南京で皇帝に即位した永楽帝が北京に遷都を決めたことに発する。皇宮をおよそ15年の歳月をかけてほぼ新しく造営し1421年の完成から、1911年の辛亥革命によって近代中国の幕開けがされるまで、明清代合わせて24人の皇帝が492年にわたり、ここから中国を支配してきた。

1912年、最後の皇帝である溥儀が退位し、清は滅亡。 溥儀が紫禁城を退去させられた後、「いにしえの宮殿」という意味を込めて故宮と名付けられた。長い歴史の中で、宮殿の内側では、華やかな生活とは裏腹に、王位継承を巡る陰謀が企てられるなど、様々なドラマが繰り広げられてきた。現存する建物の多くは清代に建て直されたものが多いが、広大な中国大陸を治めた歴史の名残は今もそのまま残っている。 建造物のスケールの大きさにも圧倒されるが、150万点に上る秘宝の数々も素晴らしく、目を見張るばかりだ。

けいざんこうえん

故宮の北側にそびえる高さ43mの元御苑。景山頂上にある万春亭から見下ろす故宮はまさに圧巻。

大小の宮殿が並び、瑠璃瓦が煌めく様は北京に来たからには絶対に見ておきたい絶景のひとつ

てんあんもんひろば

1919年の五四運動をはじめ、文化大革命、天安門事件などの歴史的瞬間が繰り広げられた地である天安門。 毛沢東の肖像画が見守る広大な広場はいくつもの激動の歴史を見守ってきた。 日の出、日の入りの時間に合わせて行われる国旗の掲揚・格納式は天安門広場の一日のハイライト。中国近代史を変えた歴史的舞台で、当時の中国に思いを馳せる

てんだんこうえん

天壇公園は、明清代の皇帝達が天を祀り、五穀豊穣を祈った中国最大の祭祀建造物である。天壇は、圜丘(かんきゅう)、皇穹宇(こうきゅうう)、祈年殿の総称で、敷地は「南方北円」(南が方形、北が円形)になっており、これは地と天を意味している。 3つの建造物は南から北に少しずつ勾配が高くなり、天に近づく演出がされているなど、随所に見られる哲学は非常に興味深い。

いわえん

頤和園は、1750年に清の乾隆帝が、母の還暦を祝うために造園した。1860年に、英仏連合軍によって焼き払われ廃墟と化したものの、1888年に西太后が自分の還暦を祝うために再建した。 1900年の義和団事件で再び破壊されたが、この地を愛していた西太后は国費を費やして再び再建。彼女は1年の3分の2を頤和園で過ごしたとも言われている。