沖縄を代表する人気観光スポットであり、琉球王国の象徴である「首里城」
2000年12月「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に「首里城跡」として世界遺産に登録されたことで、さらに注目度もアップ!
今回はそんな首里城及び首里城公園の見どころや、現在の様子をご紹介するとともに、その魅力を分かりやすく解説。
観光で沖縄・首里城を訪れる方はもちろん、お城好き・歴女・城ガールの皆さんにも、楽しんでいただけると思います。
独特の歴史を遂げた沖縄の城
歴史ブームが続き、全国のお城に注目が集まっています。
そもそも沖縄の城は「グスク」と呼ばれ、本土とはまったく異なる歴史と文化で成り立っているのが特徴の一つ。
グスクはかつて「御城」とも書かれ、12世紀から16世紀にかけて、沖縄の各地を支配していた「按司(あじ)」と呼ばれる豪族層が築いた城のことを指しています。
沖縄本島は、1322年ごろから1429年までは「三山時代」と呼ばれ、北山・中山・南山の3つの国が支配していました。
その後、勢力分布の変遷により1429年に琉球王国が成立、明治維新後の廃藩置県で滅亡するまで存在したのです。
沖縄の城の魅力は優美な石垣にあり!
沖縄のグスクは、本土の城のように重厚な城郭はありませんが、優美で雄大な石垣を持ちます。
高度な石積みの技術で作られた、緩やかなカーブを持つ曲線城壁が特徴です。
この複雑な曲線は、間近まで迫った敵を側面からの攻撃で撃退することが目的でした。
また、本土の城のように「お堀」はありません。
沖縄のグスクは大陸の宮殿の影響を大きく受けており、石垣や城壁の一部にあるアーチ状の「門」から出入りします。
また、グスクによっては、門の上に楼閣状の建物が作られているものもあります。
祈りを捧げる大きな広場があることも、大きな特徴といえるでしょう。
琉球王国のシンボル「首里城」のココがおすすめ!
かつて琉球王国が成立し、独自の文化が花開いた沖縄。
現在も県内に200から300は存在すると言われるグスクの中でも、琉球王朝の王城だった首里城は、沖縄県内では最大規模のグスク。
沖縄の方言では「スイグシク」とも呼ばれる、琉球王朝のシンボル的存在です。
首里城の創建は14世紀頃と推定されており、約450年間続いた琉球王国の政治の中心であり、中国との外交貿易の場として重要な役割を果たしていました。
明治維新による琉球王朝滅亡後も首里城は存在していましたが、残念ながら当時の建物は1945年の太平洋戦争で破壊されました。
その後、1980年代から本格的な復元が始まり、1992年に正殿などが復元され、現在は「首里城公園」として、周辺も含め一帯整備されています。
それでは、首里城公園の入口より順路に沿って園内を巡っていきましょう!
弐千円札(2,000円札)にも登場!琉球王国のシンボル 守礼門
坂を上がっていくと目にする、首里城の入口に建つ守礼門は1958年に復元されました。
門に掲げられている扁額(へんがく)の「邦之禮守(しゅれいのくに)※」は「琉球は礼節を重んずる国である」という意味で、中国王朝に向けたメッセージだったと伝えられています。
※扁額の表記は旧式の読み方で右から左へ書かれています。
2000年に発行された弐千円(2,000円)札の絵柄にも使われています。
首里城での多数の城門や建物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられています。
守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」と呼ばれましたが、当時の人々は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだそうです。
これは琉球の古語で「上の方にある美しい門」という意味です。
国王も祈願したパワースポッ ト 園比屋武御嶽石門【世界遺産】
守礼門から少し進んだところにある石門と、その奥に続く森一帯が「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」です。
御嶽とは神様が集まる神聖な場所で、かつて琉球国王が外出する際にここで安全を祈願したといわれています。
形は門ですが、いわゆる人が通るためのものではなく、礼拝所のような役割を果たしていたとのこと。
創建は1519年、太平洋戦争で破壊されましたが、1957年に復元されました。
現在は国指定の重要文化財であり、世界遺産にも登録されています。
御嶽は神様の力が強くなるパワースポット!訪れた際には沖縄旅行の安全を祈ってみてはいかがでしょうか?
第一の正門「歓会門」
いよいよ首里城の城郭内へ!最初にくぐる第一の正門がこの「歓会門(かんかいもん)」です。
歓会とは、その名の示す通り「歓迎する」という意味で、諸外国からの使者(中国皇帝から派遣された使者である冊封使など)を、歓迎する意味を込めてあります。
こちらの別名は「あまへ御門(うじょう)」
この「あまへ」も、琉球の古語で「喜んで迎える」を意味します。
現在の歓会門は1974年に復元されたもので、アーチ状の石造りの城門の上に木造の櫓があります。
瑞泉門
首里城内郭にある門で、元々は1470年頃の創建です。
「瑞泉」とは「立派な、めでたい、泉」という意味で、門の手前にある「龍樋」にちなみ、別名を「樋川御門(ふぃじゃーうじょう)」とも呼ばれています。
瑞泉門は石造りのアーチの上ではなく、石垣が途切れた部分に橋を架けた様な、木造櫓門の構造をしています。
1933年に国宝に指定されましたが太平洋戦争で焼失し、現在の瑞泉門は、1992年に復元されたものです。
漏刻門
門の上にある櫓内に水槽が設置され、そこから漏れる水の量で時刻を計る、水時計の役目を持つことから、この名がついています。
係りの役人は太鼓を叩いて知らせ、それを聞いた西(いり)のアザナ、東(あがり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)の3か所で同時に大鐘を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせていました。
ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいいます。
当時、身分の高い役人は駕籠(かご)を用いて首里城へと登城していたが、どんな高官であっても国王に敬意を表し、この場所で駕籠から降りたということからそのように呼ばれているそうです。
こちらも瑞泉門と同じく1992年に復元されました。
日影台
「漏刻門」の正面に置かれている日時計。
先ほどの漏刻門の水時計を補助する道具として、廃藩置県の時まで使われていたそうです。
広福門
第四の門「広福門(こうふくもん)」は、「福を行き渡らせる」という意味であり、別名を「長御門(ながうじょう)」といいます。
建物そのものが門の機能を担い、首里城にある城門の特徴のひとつでもあります。
門前は首里城内でも特に眺めが良く、東には弁財天堂(べざいてんどう)の屋根や円覚寺の総門、遠くには虎瀬山(とらずやま)や弁ヶ嶽(べんがだけ)の姿を遠望できます。
こちらも瑞泉門や漏刻門と同じく1992年に復元され、現在は奉神門より先、有料エリアの券売所等に利用されています。
「御庭」へ入る最後の門「奉神門」
別名を「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう「神をうやまう門」という意味の「奉神門」。
向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式の際等に使われました。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等の、限られた身分の高い人だけが通れる門であり、それ以外の役人は両側の門から入城したそうです。
首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門で、現在は公園管理のための施設(有料エリアへの改札など)として利用されています。
この「御開門式」は休場日を除く毎日(※荒天時は休止の場合あり)8時25分から10分程度、この奉神門前で行われます。
琉球王朝時代の役人の衣装を着用した門番との記念撮影も可能ですので、ちょっと早起きして朝だけの特別なひと時を楽しんでみるのもよいでしょう。
鮮やかな朱色と見事な装飾 思わず見惚れる首里城正殿
琉球王国最大の木造建築物である正殿は、琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(
全体の色鮮やかな朱塗りもさることながら、随所に施された極彩色の装飾も必見です。
また、正殿の龍の装飾に注目すると、首里城の龍の爪はすべて4本であるのがわかります。
これは中国の龍の模様は爪が5本であるため、敬意を表し琉球の龍は1本減らしたのだといわれています。
ちなみに正殿は1992年に復元されたもので、世界遺産には含まれていません。
登録されたのは唯一現存する首里城最古の遺構で、その一部は正殿1階のガラス張りになった床から見ることができます。
その他にも「御差床(うさすか)」と呼ばれる絢爛豪華な玉座や、国王が身につけた冠のレプリカなど、内部も見どころ満載です。
様々な儀式が執り行われた王国のステージ「御庭」
正殿の前の広場は「御庭」呼ばれ、様々な儀式が行われる場所でした。
正殿から門へ向かう中央の大きな道は浮道(うきみち)といい、国王や中国からの使者など限られた人だけが通れる神聖な道だったといわれています。
実はこの浮道、なぜか斜めに敷かれています。
その理由として、玉座と御嶽を結ぶ線だとか、悪霊は直線しか進めないから邪気払いだとか、中には何度も建て替えや復元されているうちにたまたまそうなったのでは?など、諸説ありますが真相は謎のままです。
歴史的建造物だけじゃない!絶景スポット 西のアザナ
「アザナ」とは、遠くを見渡すために設けられた物見台のことです。
標高約130mの城郭の西側に築かれているものは「西(いり)のアザナ」といいます。
首里城内はもちろん、那覇の街並みや那覇港の様子、晴れていれば水平線上に慶良間諸島まで見渡すことができます。
西側にあるので夕日はまさに絶景!知る人ぞ知る穴場スポットです。
東のアザナ
西側の「西のアザナ」に対し城郭の東端に築かれた物見台が「東(あがり)のアザナ」で、標高約140mの位置にあります。
この首里城東側は、神聖な区域の1つであり、国王が死去した後に安置される「寝廟殿」があった場所です。
城外の町や城内の正殿裏・御内原(おうちばら)一帯を展望することができる場所であり、天候によっては遥か海上に久髙島を見ることもできます。
別名「高アザナ」ともいい、「漏刻門」や「西のアザナ」とともに城内に刻を知らせる役割を担った場所でもありました。
琉球王朝当時の時に関する解説のほか、希望者はハチマチ(琉装の帽子)をかぶって役人に扮し、銅鑼を叩いて刻を知らせる体験ができます。
遥か遠く琉球王朝時代の空に、鳴り響いていた「音の情景」に、歴史ロマンを感じてみてはいかがでしょうか。
首里城公園ならびに、首里城の現在。
首里城を中心に、首里の丘陵一帯は「首里城公園」として整備されています。
西側には国宝であり、世界遺産にも認定された玉陵(たまうどぅん)、南側には円覚寺や弁財天堂、龍潭などの文化財が点在しています。
園内のうち、奉神門より先の正殿周辺および東のアザナを含めた区域は有料エリア、それ以外は無料エリアに分かれています。
2019年10月31日に正殿とその周辺が火災により消失してしまいましたが、付近一帯の首里城公園はこれまで通り見学できる上、2026年の正殿完成に向けて復興中の正殿周辺有料エリアも入場可能です。
新設された見学デッキからは、平成の復元の様子とともに、「今」しか見ることが出来ない貴重な復興の様子を見学できます。
また、2026年の正殿完成まで長い時間を要することから、その間も来園者に楽しんでいただける様にと「見せる復興」の一環として、木材倉庫の壁面部分に、復元予定の首里城正殿のイメージ絵が描かれました。
これは復興途中の首里城の新たなフォトスポットとしても楽しむことができます。
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