まずはキッチンから始めましょうあなたが一番働きやすいように

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ツアーコード153372

まずはキッチンから始めましょうあなたが一番働きやすいように

ツアー説明

    こんなことを学びます

    キッチンのレイアウトと使い勝手
    家族構成や子供の年齢で
    キッチンの最適なレイアウトが違って来るはずです
    それぞれのご家族の事情にあったキッチンのレイアウトを一緒に考えます

    ご自分のキッチンの平面図がかけますか
    建築を学びに来た学生でも自分の部屋の図面が書けなかったと聞いています
    アプリで間取り図はかけるといいながらも
    自分の部屋のことを把握していない人も多いようです
    まずは今自分がいる空間はどんなものなのかを理解して
    それが自分にふさわしいのかどうか
    あなたのこれからの住まいを考える出発点です
    業者さんから図面をいただいているのならそれを見ながら考えましょう

    それから今のキッチンで不満なのはどんなところなのか
    それを改善するにはどうすればいいのかを一緒に考えます

    家事が時短できたら育児に時間を割くことができます
    子供と一緒にいられるのは一生の中では短い時間大切にしましょう
    私自身4人育てながら仕事をしているときは無我夢中でした
    後悔もいっぱいありますが今思えば一番幸せな時期だったのかもしれません
    育児を楽しむ余裕を持てたらいいですよね

    理想的なキッチンにするために必要なことを学べます
    あなたにとって理想的なキッチンはショールームにもモデルハウスにもありません
    ショールームやモデルハウスのキッチンを理想にすると失敗してしまいます

    特典1
    建築ミニ知識集動画プレゼント
    知っておいたらお得なミニ知識を動画にしてプレゼントします

    特典2
    個別コンサルティング
    皆さん個で事情は違うはず
    それぞれの事情に合わせた個別コンサルティングを無料でプレゼントします

    こんなことが出来るようになります
    自分にとって効率よく家事をするためのキッチンとはどんなものか知ることができるようになります
    それはおひとりおひとり違うはず夫婦でも違うかもしれません

    そうすると今後どんなキッチンなら快適に過ごせるのかがわかります

    家事が時短できる快適なキッチンが作れます

    ストレスフリーなあなただけのキッチンがわかるようになります
    自分にとって居心地のいいキッチンはきっとストレスフリーなはず

    こんな風に教えます
    オンラインで丁寧に教えます
    レクチャーとワークを組み合わせ
    楽しみながら空間の持つ役割や特性を学びます
    参加者の皆さんと対話する形式で
    自由に楽しく学んで頂きます

    持ち物
    方眼用紙鉛筆定規

    定員
    基本5名まで

    自己紹介
    私は1955年山口市で生まれました
    父は外科医母は専業主婦でしたが

    大学卒業当時女子大学生の就職は最悪の時代でした
    就職指導の部屋の前に張り出されている求人票のほとんどに
    赤字で女子不可と書かれていました
    やっとその文字のない求人票を見つけて名前を書き込んだところ
    主任教授に呼び出されました
    君が名前を書いたら
    成績順で君を推薦することになり男子学生が職を失うことになる
    君には故郷に帰って嫁に行くという道もあるだろう
    と言われたのです
    今なら大問題ですが
    当時の私はそんなもんかと思いすぐに引き下がりました

    結婚すると決めていた人の故郷高知に就職を探しに行こうと思いましたが
    一生親元を離れて高知で暮らすことになるんだから
    1年間は親元で暮らしておいで
    と言われ山口で就職しました

    結婚したら勉強することも困難だと思ったので
    その前に資格を取っておきたくて2級建築士を受験し一度で合格しました

    予定通り1年後に結婚して高知に移り住みました

    子供は4人産み育てました

    勤務先は数回変わりましたが一貫して住宅の設計をしてきました
    なので40年余りの間にトータルでは100件以上は設計させていただいたと思います

    3人目の長男の妊娠がわかったのは自宅の新築が決まり
    建築許可がもうすぐ下りるというタイミングでした
    夫からは家か子供か仕事かどれかはやめないと無理だろう
    と言われましたがどれもあきらめたくないと言ってしまいました
    すると
    お前が自分で決めたんだからな愚痴は一切言うなよ
    と言い渡されたので4人の子育てをしながら
    仕事を続けることでの愚痴や泣き言は言えませんでした

    しかも3人目の長男は食物アレルギーだったので保育園や学校の給食が食べられず毎日お弁当を作って持たせていました中学卒業までの約10年間一日も休むことはできませんでした
    毎日のお弁当作り大変ねとかかわいそうねと言われましたが親にかわいそうと思われるほど子供にとって悲惨なことはないと思っていたので何とか楽しんでやろうという思いだったからこそ続けられたんだと思います
    高校に進学したころにはアレルギーもよくなっていてお弁当はもういいよと言ってくれたんですが私自身が寂しくてお母さんのわがままだと思って続けさせてと頼んで高校卒業まで続けましたお友達に食べてもらったりもしていたようですが

    夢中で育てた子供たちも成人し末っ子の次男の就職も決まった年
    東北大震災の年でした夫が事故で亡くなりました
    これから二人で老後を楽しもうとしていた矢先の出来事でした

    それより17年ほど前に山口の父が亡くなり
    その翌年母を高知に呼び寄せていました
    10年ほど元気で暮らしていましたが
    足を痛め認知症も進んで介護が必要な状態になり施設に入所させました
    月に一度は通院させるために夫と二人で通っていました
    男の子のいなかった両親にとって
    夫はまるで実の息子のようにかわいがってもらいました
    幸か不幸か夫の突然の死を母は理解できなかったと思います

    夫の死は私にとってはショックが大きすぎて毎日泣き暮らしていました
    そんな私を仲間たちが仕事をさせないとと
    心配して声をかけてくれていましたが
    どうすればあの人のところに行けるだろうか死ねるだろうか
    とばかり考えてすることがないと自宅に引きこもる日でした

    4人の子供を育てながら仕事をしていたころは夢中だったけれど大変だったけれど充実していたと思います
    私の経験が今子育て真っ最中で何も考えられなくなっているようなパパママを元気づけられえるのならと思っています

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